ある男性の東京オリンピックから東京オリンピックの人生日記

私は今年で74歳を向かえます。この74年間を振り返って見ますとといろんなことが想い出されます。

 

ある男性の東京オリンピックから東京オリンピックの人生日記

私が21歳を向えた1964年10月にアジアでは初めての大会となった東京オリンピックが開催されました。それから56年後の2020年に再び東京でオリンピックが開催されます。

 

1964年当時私は機械設計の勉強をするため地方から上京していました。

当時は実家からの仕送りで生計を立てていましたが仕送りして貰っている金額だけではとても小遣いまで足りているとは言えない状況でした。

 

 

私の父はサラリーマンで給料は家族が生活をして行くのにやっとと言う状況でした。

私は上京するに当たり東京でアルバイトをしながら勉強をするので仕送りは少しで十分ですと父を説得して上京した以上泣き言は言えません。

 

私が下宿していたのは板橋の学生達が多く生活している一間だけの下宿でした。大家さんが一緒の建物に住んでいて夕食の面倒は見てくれていました。

アルバイトは下宿からすぐ近くにあったスタンドバーでした。私の父は全くと言っていいほどアルコール類はダメでタバコをくわえている姿も一度も見たことがありませんでした。

 

一方息子の私はアルコールには強い方でタバコも結構喫っていました。

このような真面目一方の父の手前私がスタンドバーでアルバイトをしていることを一言も話してはいませんでしたし話して父を納得させるのは不可能なことでした。

 

昼間は勉強し夜はアルバイトと多忙な毎日でしたが当時は若く体力的にも自信がありましたのでこの忙しさは刺激となり却って生活に張り合いを感じることが出来ました。

少ない小遣いの中で友人と通った池袋や新宿のジャズ喫茶で流行り始めたグループサウンズに夢中になったことなど、若い時代に経験した苦しい生活の思い出も今となっては懐かしい思い出へと変わって来ています。

 

東京での勉強が終了して故郷へ帰郷することになりました。

その時私は一人の女性を連れて帰郷したのです。東京で知り合いになり付き合っていく内に将来を共に歩んで行くことを約束した女性です。

 

その女性こそ現在70歳になる妻なのです。まだ勤務先も決まっていない内から結婚を考えて行動してしまった私は両親から計画性のない息子だと大変な非難を受けたものでした。

勤務先は地元の設計会社に決まりました。東京で学んで来たことが仕事に生かせると張り切っていたのですが結婚後の生活は会社の給料が想像以上に安くて二人で生活するのには大変な苦労がありました。

 

この経済状況ををなんとかしなくてはと妻は近所のお肉屋さんへパートタイマーとして働きに出るようになりました。

妻にとってこの土地は初めて来た場所であり知り合いの人もいない環境の中で本当によく頑張ってくれました。

 

 

このように経済的には苦しくても二人にとって一緒に生活出来ること事態がとても楽しく充実した生活でした。

これは当時二人とも若かく愛情があったからこそと思っています。

 

「結婚した二人で悲しみを分かち合うと悲しみしみは半分になり喜びを分かち合うと喜びは二倍になる」と言われています。

このように二人で協力をして頑張ることで二人で生活して行くことへの自信が生まれて来ました。子供も長男と長女の二人に恵まれて生活も安定して来ました。

 

私が自分の家を新築で建てることが出来たのは40歳を向かえた頃でした。

それまで借家や市営住宅等を転々と引越を繰り返していましたが段々成長する子供達のプライベートな時間を過ごせる部屋を与えてやりたかったからです。

 

建築工事中の現場には家族一同で毎週のように通って我家が出来上がっていく様子を見守っていたものでした。

6ヶ月後に家が完成した時のあの満ち足りた気持は何物にも代えることが出来ないほどの感動を受けてこれで父親としての責任がやっと果たせたと思いました。

 

新築の我が家に子供達一人一人の独立した部屋を与えることが出来、また家族みんなが集まり食事を摂るダイニングキッチンと畳のある和室そしてゆったりと脚を伸ばして入浴が出来るバスタブがある浴室等々。

また家の前には広い庭とその先には瀬戸内海が望め目の前に広がる多島美は仕事で、疲れて帰宅した私の心と身体を癒してくれる素晴らしい景色となったのです。

 

現在この家も築33年となり永い年月の風雨に耐えて来ましたが、建物の一部には痛んで来た所も見受けられます。

子供達二人にはそれぞれ二人の孫も出来て現在は独立をしてこの家からは出て行っており、この家には年老いた二人が住んでいるだけとなりました。

 

この家と共に暮らして33年間の間家族みんなが大病もせず無事生活して来れたことは一番の幸せであり、家族の生活を守ってくれたこの家に感謝をしたい気持ちで一杯です。

これからはこの家をどのようにして行くのかを子供達二人を交えて話し合って行かねばなりませんが、私としての希望は改築や補強をしてでもこの家を残して貰っていつまでも生活して行って欲しい気持です。

2020年の東京オリンピック開催を機会に自分の歩んで来た遠く懐かしい時代の想い出を辿って見るのもまた楽しいものです。

Posted by dobutu